2003年1月、与論・奄美ツーリング
いよいよ奄美諸島に辿り着くが、外は・・

(12月31日)
 鹿児島から沖縄へ向うフェリー(マリックスライン)は、 途中で奄美大島、徳之島、沖伊良部島、与論島 を経由している。 徳之島では闘牛が、沖伊良部島では鍾乳洞のように各島では それぞれ異なる魅力があるそうだが、日程の都合で今回は 与論へ向った。この日は残念ながら朝から雨。波は高くなかったが、 与論ではキャンプを予定していたので、民宿にしようかと弱気になっていた。

 沖伊良部島を出港し、いよいよ与論到着となる頃、 隣の人と与論について話をしていたら、別の乗客が自分達の話を横で聞いており、 親戚の民宿に連絡してくれることになった。 「ますお荘」と言う民宿で 1泊2日で食事つき4,500円。風呂には湯船も備えており、この日の客は自分 1人。昼ご飯まで頂いてしまう当たりの宿に泊ることができた。 (因みに、紹介してくれた方は宿の主人の従兄弟とのこと) 世の中、何がご縁か分からない事を改めて思い知る。

 客が自分のみであったため、与論の年末年始の料理が食べたい と申し出てみる。「家族が普段食べる料理で良ければ。」との返事を頂く。 年越しは実家の北海道形式しか知らない自分は 南国の年越しは非常に興味があり、二つ返事でお願いする。
 ここで最初に頂いたのがお昼ご飯に食べる 「まぜご飯」。 与論では大晦日のお昼は豚肉や魚介類を加えた混ぜご飯を食べるのが 風習との事。うっすっらと油が入っていたが、薄味で個人的には美味しく頂く。

 夕飯までは時間があったので小雨の中、与論観光に出かける。 与論城跡に立てられた神社を皮切りに 「大金久海岸(おおかねくかいがん)」 (この海岸の潮が引いた時に現れる砂浜が、 「百合ヶ浜」で、 逃げ遅れたタコや貝などを拾うそうである。冬は夜に、夏は昼間に 砂浜が出現するらしい) 「森 遙子」の墓所などを見ていく。

左:前浜近くの海にて 右:大金久海岸。砂は有孔虫の殻である星砂
 半時計回りに海岸線を走ってみた。走っていると川が無い事に気がつく。 山がない島なので、川が存在しないらしい。逆に言うと水の確保が 大変なのだろう。家や畑には雨の貯水槽をよく見かけた。

 民宿に戻るとまず砂浜の砂をバイクから落とし(貴重な水を 使わせてもらいました)、風呂に入って(贅沢だ)いよいよ夕食。 夜は豚肉と野菜の煮込んだものを食べるのが慣わし らしく (因みに、年越しそばを食べる習慣は無いとの事)、 食事の前にご先祖様に夕飯のお供えと挨拶をしていた。 この挨拶は地元の言葉で述べているため、何を話しているのか 自分にはサッパリ分からない。この後の食事時にも地元の言葉が 会話に出てくるのだが、やはり自分にはチンプンカンプン。 狭い狭いと言えど、日本も実は広い(最東と最西で時差は1時間あるし、 この日の天気予報では北海道の旭川と沖縄で最低気温の差は25℃もあった。)
 しかし、地元の言葉は徐々に話されなくなってきているのが実情で、 おばあちゃんと両親は話すこともできるが、子供達は理解できても 殆ど島言葉を話すことはないとの事。北海道のアイヌの人々と同じく、 数十年後には島言葉を話す人は殆どいなくなってしまうのだろう。 とても悲しい現実を感じてしまう。

写真中の右上にあるのが豚肉と野菜の煮込み。左上は沖縄の県魚でもある 「グルックン」の焼き魚。真ん中はオオイカとキンキの刺身。 因みにご飯はもち米が混ぜてありました。

 夕飯をお腹一杯頂いたので外出する気も起こらず(フェリーで話して いた方に「かりゆし」 なる民謡居酒屋を紹介されていたのだが)、 猪木祭りと紅白歌合戦とラーメン決定戦をだらだらと見ていた。 当初の予定では砂浜で星空の下、黒糖焼酎片手にキャンパーと 語らっていたハズなのになぁ、と思っていたら2003年を迎えてしまった。

この日の走行距離:26.4 km


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