旅日記
Touring report

ロシア(チタへの移動 No.2) 2004年7月
To chita in Russia No.2. Jly, 2004.


7月1、2日(木金)
Jly 1, 2.

 ビロゴルスクのホテルは宿泊費もレストランも高くて良く無かったが (一泊750ルーブル。レストランは中華サラダだけで80ルーブル!)、 シャワーを浴びれただけでも良かった。この町の手前から続く舗装路を 走っていると、後ろから見たことがあるけれど、何か様子が違うバイクが 追いついてきた。停まって見てみると、やっぱりピーターだ。しかし、 バックミラーにウィンドスクリーンが無い。 昨日、脇道を100km/hで走っていて転倒し、その際にフロントから一回転して ハンドル周りのパーツが壊れたと言う・・・岩をハンマーにして曲がった 部分を叩いて直したりで半日を費やし、おまけに転倒時にハンドルがアバラに 当たって今でも痛いと言う・・・ 急がなくとも、転倒だけは注意しようと強く思った・・・・

Hotel in Birogorsk was not good. (High price but not good servece. Expensive restrant food. Why do I pay 70P for only one chinese salat?) I left here and ran to west. One motor cycle caught me. I have ever watched, but a little diferent. This was Peter. But he fell in front yesterday. The wind screen and rear view mirrors broke. He repared curved box frame and engine gard to use rock and he spend half day... I strongly thought no need fast, only not fall....


フロント周りが軽くなったバイクとピーター。
Very light version of Peter's motorcycle...

 この後、暫くは深砂利で難儀するが、 それを越えれば舗装路が続いて走行距離が伸びる。 ウワサのシマノフスクに着くと、再びダートが始まる。100kmほど走ると シバーキと言う町の駐車エリア (カフェや整備工場があった)を見付けた。カフェの前に着くと 何時ものようにロシア人が集まってきて、「何処から来たのか?」、 「何処に行くのか?」と尋ねて来た。疲労でヘロヘロだったので冗談半分で、 「ヤー ハチュー スパコイ エータ(自分はここで寝たい)」と言ったら、 一人の男性が家に泊まれと言ってくれる。本当?この先360kmほど 先のマガダンに行かないとガスチーニッィ(ホテル)が無いと聞いていたので、 助かったぁ。どうやら、住み込みの人の為の家みたいだが、 強盗や雨、埃を気にせずに泊まれる事は非常に助かる。アレクセイ、ありがとう。 ついでにリヤタイヤを外してカムの位置を調整して、この日は終わった。

The road was deep gravel for 60km. But to Shimanovsk, the road was paved. Dirt road started from Shimanovsk, I ran about 100km and reached Sibaki. I enterd parking erea, as usual, many Russian came and asked me "Where do you come from?", "Where do you go?". I was very tired, so I answered as a joke "I was very tired, I want to sleep here.". Whereat one guy said "Stay my home.". Rally? I might run more 360km to stay hotel in Magadan. So I might be camp somewhere. Thank you, Alexey. I stayed his home was for workers.


そんな家。
I stayed one night at this home.

 翌日、スコボロディノ目指して北西へとバイクを走らす。砂埃が凄い。 給油を予定していたマグダガウイに到着し、カフェで朝食を摂る。 過去に経験したことが無い位に全身埃だらけだ。ところが肝心のガソリンが 売り切れて無いと言う。スコボロディノまで約190km。 残りのガソリンは5リットルほどなので、どう頑張ってもたどり着けない・・・ 幸い、他のドライバーが次の町にスタンドがあると言うので助かった。 町を出て暫く進むと、見慣れたバイクが見える。ピーターだ。ガソリンのことを 話すと、「先に進んでガソリンが無くなったらそこで待っていろ。 自分のガソリンを分けるから。」と言われる。ありがとうピーター。 結局、スコボロディノ手前約40kmの時点でガソリンは無くなった。 377.9km/13l = 29km/l であった。初めてのガス欠でロシアの黄色いガソリンを 2リットルほど分けてもらう。この先の空は鉛色で雷鳴も聞こえてきたので スコボロディノのホテルに泊まる事に。案の定、町の手前から雨が降ってきた。

Next day, I have started to go to Skovorodino. So terrible dust. I have not ever took this terrible dust. I had plan to gain fuel in Magdagaui, but fuel was sold out.... I can't reach Skovorodino! But fortunately, I was running, found Peter. When my fuel was empty, he presented some fuel. Thank you, Peter! I had the first experience of no fuel. Then sky was dirk, we heard and looked thunder. We stayed a hotel in Skovorodino.


左:建設中の道路の途中にて。
右:ピーターのタンクからガソリンを頂く。
Right: On the building road.
Left: Peter presented me a few fuel.



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I wrote this report on 2004, July 16.