旅日記
Touring report

ロシア(チタへの移動 No.1) 2004年6月
To chita in Russia No.1. Jun, 2004.


6月29、30日(火水)
June 29, 30.

 色々とお世話になったみんなと別れてチタへと出発。朝、 アレックスが駐車場まで、ジェーナと彼の友人のローマンがアムール川の橋まで 見送ってくれた。途中までピーターと一緒であったが、 自分はレナの両親の家に、彼はキャンプと目的地が違う為、 途中で別れかれる。(自分の予想では、ピーターの方がずっと早く着いていると 思っていたのですが・・・)

In starting morning, Alex and Zhena and Zhena's friend Roman sent us off. In midstream, Peter and I went together.


左:ジェーナにレナ、ありがとう。
右:ロシアの大地にて。今日も快晴で気持ちよい。
Right: Thanks a lot, Zhena and Lena. And everbody.
Left: Today is also fine day. Best season for riding.

 ハバロフスクからチタまでは約2,200kmの道のりで、2年前までは シマノフスクとスコボロディノの間、約420kmは道がありませんでした。 (川渡りなどをする必要があるとの事を、 ミミーゴ青山さん より情報を入手)

<2004年7月18日追加>
同じ2002年にロシアを東から西へバイク(ヤマハのSR400)で移動した ジュンヤさん のHPを確認していたましたら、 彼はスコボロディノまで悪路を移動し、その後に シルカまで鉄道で移動していました。どうやら、 まともな道が無かったのはシマノフスクとチェルヌシェフスクまで の間だった模様です。なお、 2004年7月の時点、道路は未だ舗装化に向けて建設中でしたが、 通行は可能でした。

しかし、昨年2003年の夏に 永原さん夫妻 が通過し、道路が出来つつあるとのことを知り、 自走でチタまで走ることにしました。ハバロフスクから160kmほど先の ビロビジャン郊外で舗装路は終わり、ダート区間が始まります。 (チタ方面は、チタから180kmで舗装が終了)2004年6月の時点では、 (おそらく将来は片側2車線にすると予想される)道路を建設中で、 一部の区間は片側1車線の舗装路が完成しています。しかし、この区間の 全体の30%程度しか舗装路は無く、晴天時には砂埃、雨天時には泥の 悪路であることには違いありません。

From Khabarovsk to Chita is about 2,200km. There was not road befor 2 years ago. But last year, Mr. and Mrs.Nagahara reported to be able to pass this zone. I tried to run this zone, too. The unpaved road started from 160km outside of Kahabarovsk. (From Chita, 180km out side of Chita.) Russian public is building paved new road, but only 30% was complete paved road. In the fine day, there are huge sand dusts. In the rain day, you must run muddy bad road. This area is very toguh for both machine and human.


いよいよダートスタート。
The unpaved road was started.

 ハバロフスクから先は、約500km離れたビロゴルスクまで ホテルは無いとの事なので、この日は途中のレナの両親の家に泊めて貰い ました。自宅で取れた蜂蜜をお土産に頂いたり、色々とお世話になりました。

I heared from Khabarovsk to Birogorsk there is no hotel. So I stayed in Lena's family home in midstream. I could speak a little Russian, but her family made me welcom.


左:レナのお父さんが直していた車。1950年の年代物!
右:出発前に皆さんと。ありがとうございました。
Right: Her father was reparing one car. This was made on 1950!
Left: Her family and I. Thanks a lot.

 翌日、順調に走っていると、ビレヤの町の入り口の警察に停められた。 詰め所の中に入れという。いよいよ、悪徳警官とのバトルか?と思っていたら、 どうも様子が違う。「俺はホンダのバイクに乗っている」と言うことは何とか 分かり、どうやら自分のバイクに乗せろと言う事らしい。そんなことで停めるなよ 、と思いつつ、それ位で済むならO.Kかと思い乗せてあげる事に。 その後は西日を眩しく感じながら、無事にビロゴルスクに到着。

Next day, I ran faborabley, But I was stopped by policeman in Bereya. He said "Enter this building". I supposed "I will need taugh negotiation.". But he wanted to ride my motorcycle. I thought "Don't stop me so tiny thing." I ran to west, I reached Birogorsk in this evening.


そんな警察官
The policeman.



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I wrote this report on 2004, July 16.