1月25日(火)
Jan 25.
地図は
Fland-Ale 日本世界地図 Ver 3.71を使用。
I used map data "Fland-Ale" and arranged it.
1月25日、野生の王国で有名なケニアへ入国。ケニアは16番目の国となるが、車の走る車線がここから
日本と同じ左に変わる。以後、南アフリカまでは左車線。イギリスの植民地の名残らしい。
右ハンドルの車が走るので、日本からの中古車を多く見かける様になった。
国境の町モヤレ Moyale から、首都のナイロビ Nairobi までの移動の内、
モヤレ−イシオロ間の約700 km は未舗装の道が続き、その為に
雨季には道はドロドロになり、バイクでの走行は非常に困難になると聞く。
幸い2月までは乾季なので、大変な思いをしないで走ることができるのだが、
コルゲーション(洗濯板の様な小さな段差)が続いてバイクにとっても自分にとっても緩くない。
(この道を舗装するため、ヨーロッパから2回資金援助があったのだが、大統領ファミリーの
懐に消えたとのウワサを耳にした)
また、盗賊団が出没することでも有名であり、昨年の秋にはHONDA Gorilla50 乗りの
通称「ゴリマサさん」がソマリアに近い東側の迂回路を、昨年12月にルクソールで会った
BMW F650乗りのメイソン Mayson は西側のトルカナ湖 Lake Turkana の湖畔を通り、それぞれ迂回していた。
しかし、2005年1月現在は、マルサビット Marsabit とイシオロ Isiolo を通るメインルートに
盗賊の出没は無いと、地元の警察が話していた。自分はこのメインルートを選択。
マルサビットは自然公園である為、走っていたらダチョウと並走していたりも。
しかし道が悪いので、前タイヤがパンクするアクシデントもあった。
On January 25, I entered in Kenya. Kenya was 16th countries for me in my trip.
But one point was very different from countries befor I had passed.
Cars were driven left-hand lane as same as in Japan.
Because the countries from Kenya to South Africa were colonilaised by UK.
(Japan was not colonilaised but left-hand lane.)
Many used Japanese cars were droven.
From Moyale to Isiolo about 700 km was not asphalt and bad road.
I heard bandit hunt tracks and buses in this area.
So many riders escaped this main road.
But now is no bandit on Jan, 2005.
I choiced this main road and started to go to Nairobi.
左:沿道で見かけたラクダの群れ。
右:交通手段はこの様なトラック。人や荷物(牛などの動物も)を載せて走る。
Left: Camels beside the road.
Right: People used trucks like this. Not only people but also critters.
左:休憩をしていると、
中:空が綺麗。
右:別の休憩時にて。
Left: When I had break time,
Center: I could look blue sky.
Right: In another time case.
|